長くて短い12ヶ月。

 

2017年6月、今月で鬱を見つけてから1年。

言われてみればその兆候はもう何年も前からあったけれど、

自分の苦しさに名前をつけてもらったのはたった1年前。

 

この1年で友人の大多数は学生から社会人になって、

なんだか自分だけ何の変化も成長もなく置いてきぼりの気分。

たまにそういうことを思うけれど、

じゃあ12ヶ月が無駄だった?1年前と何も変わらない?

そう考えると、答えはNO。

 

 

 

1年前の今頃は、ただただ悲しくて辛くて、

毎日朝から晩まで理由もわからず涙が溢れていた。

食欲もなくて何も美味しいと感じないし

どんどん痩せていった。

薬を飲み始めてからは副作用で吐いて吐いて吐いて、、、

夜は睡眠薬がないと眠れない。

結局、抗鬱剤は1ヶ月半で勝手にやめた。

 

2ヶ月くらい泣き明かしていたら、夏真っ盛り。

食欲はますます衰えていくし、誰から見てもふらっふら。

明らかに栄養が足りてないのはわかっているけど、

どれだけ食えと言われても、死にたいのだから何もかもどうでもいい。

そう、この頃の思考の大半は”死”が占めていた。

ただエネルギー不足すぎて具体的には考えられないし、

もちろん行動にも起こしていない。

 

記憶する力もなかったのか、ほぼ何も覚えていない夏が終わると秋。

少しずつ食欲が戻ってきて、それとともに気力も湧いてきた。

でも一夏まともに食事がとれなかったわたしの内臓は弱っていて、

少量でも何か食べるとどうしてなのか、貧血みたいにくらくらした。

でも食べた。久しぶりに味を感じたから。

 

体は少しずつ楽になっていったけど、心は苦しいまま。

いつだって自分を責めて、やっぱり泣いていた。

冬が誕生日の私は、それまでに死ぬつもりだった。

だけれど死ねないまま、またひとつ歳をとった。

なんだかすごく感動したんだ、あの日。

”あ、わたし生きてる!生きられてる!”って。

 

だから少しずつ、生きることへと向き合い始めた、のかな。

認知の歪みなんかを調べてみたり、

他人の思考法を考えてみたり。

そうしていくと、自分自身のものだと思っていた極端な思考が、

鬱特有のものだとわかった。

自分と鬱を切り離して考えることができるようになった。

今では抑うつ状態のとき、

”わたしの頭は今、鬱に乗っ取られている”

って考えることができる。

 

そうしたら春が来て、焦った。

だって1年で治すつもりだったから。

でもどう頑張ってもあと2ヶ月じゃ無理だろうと思った。

そんなときに友人に言われた、

”焦らずゆっくりでいいんじゃない?”って。

その言葉に救われた、すっごく。

さすが小学校からの付き合い!

 

1年じゃ治りはしなかったけど、

今はマイペースに自分と未来と向き合えてる。

この1年で考え方がすごく変わった。

もしかしたら、未来の自分が幸せになるために必要だったのかな。

今でもストレスが大きくなると不眠と拒食になるし、

週の半分くらい鬱様が我が身に降臨してくる。

けど”これは病気なんだ”って思えるし、

辛いときには自分で自分を労わろうと思えるようになった。

 

変わらないのは感情がないこと。

私の鬱病治療のゴールは感情を取り戻すことだと思う。

楽しいとか嬉しいとか、あまり思わない。

だから過去数年の記憶の中身は辛いことでいっぱい。

きっと良いこともあったはずなのに、感じられなかった。

 

 

 

なんだか長くなってしまったけれど、

いつか振り返ったときに笑い飛ばせるように、

少しずつ綴っていけたら。